男とロマンと時々機械

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カテゴリ: ピースボート

4b3d8df8.jpg 先日お見合いをしたんですが、その時に旅の事を聞かれて、思い出したので書き込みます!
 今回はギリシアですね。ピレウスという港町に着いたのが昼前かな?その日はデモがあったらしく、ストライキで地下鉄が動かない、公共施設が使えないとの事で、時間はちゃんと律儀に守ってたようですが、午前中から5時位までかな?移動が出来ない人もいたようでした。
 で、私と言えば同室の男性と、別の女性一人を連れて、うまいもんくいにいこう!ツアーと称して、エギナ島というとこに向かう事に、船着場から乗るんですが、チケット売り場がClosedで買えない状況だったのです、エギナ島行きの船が見つかったので、「チケット売り場はどこぢゃー?」って、訪ねたのですが、「時間がない、出航するから早くに乗れ」との事で、中で払えばいいかな?等と思いつつ、言われるままに船内に入りました。 結局無賃乗船しましたっ♪
 で、そんなに大きくは無い船だったのですが、片道一時間くらいかな?海風にあおられながら、ぼけーっと周りの風景を眺めていました。するとそこにアコーディオンをもった一団がやってきて、音楽を激しく奏でておりました。女の子はなんでこういうのが好きかなぁぁと思いながら見ていたのですが、チップをよこせと。。。。なんで俺がーーーーーーーーと思いながら、ポケットに入っていた小銭を渡しました。2ユーロないくらいだったかな? で、船に寄ってくるカモメに売店で買ったパンを渡しながら、ここでも写真撮られたり、何故か握手求められたりしながら、エギナ島に到着しました。 これと同じような事が、この先の旅でも出てきました・・・・
 町をうろうろしつつ、雑貨屋を見て回りながら、お昼を食べる場所を物色していました。
 その日は人が少なめの様でしたが、活気あふれる町だった印象があります。ピースボートに乗ってる人間でここに来てるのは、自分たち位だと思っていたのですが、意外なことに、講師として乗ってきていたジャネットさんと、ナツミさんにお会いしました。景気良くアイスクリームをおごったりなんかして、ひと時をすごしたりもしましたが、肝心なお昼ご飯!! 港の道に面するいい感じのレストランがありましたので、蛸はありますか?と聞いたところ、まかせろ!! みたいな感じで、良い顔をして迎えてくれたので、そこで食事にする事にしました。
 お任せするぜーって事で、飲み物はこちらで選ぶ事にしましたが、お酒を飲まない私は、コーヒーだったかな?にして、残りの二人はアルコール頼んでました。ワインはまあもちろんなのですが、ちょっと変わった飲み物がありまして、二種類の液体を混ぜて、白く変色するんです、ウゾってこれかな??? まあわからんので、とりあえず飲みながら、食事を待っていたのですが、出てきたのは、バゲットを切った物と、サラダなのですが、まーでかいでかい。
 続いてメインのタコかと思いきや、まぁタコも入ってるんだけど、さまざまな魚がてんこ盛りで、出てきましたね。オリーブオイルであげてあるのが、素敵!な感じでした。ボリュームは凄かったですね、これ食えんのか??って、店の主人も食えるのか?お前らに みたいな笑顔を浮かべていました。 食った食った食った。ひたすら食べましたね。タコが名物なんですが、とにかく柔らかい、あんな柔らかなタコは初めてでした。本当はカルパッチョと、干物の焼き物が食べたかったのですが、フライもぜんぜんOKでした!!〆て45ユーロ。飲み物だけでも20ユーロくらい使ったのですが、まー安かった、安すぎた!! サービスしとくぜの店主の声が後から頭に響いてきましたね♪
 んで、食事を終えてこれからどーすっかーってとこで、隣の席についていたおいちゃんが、話しかけてきて、そこでホテルを経営しているから、泊まっていけ。料金はいらないから、話を聞かせてくれっ と・・・今日中に戻らなければいけない事、他にも動きたい旨を伝えて、ほんの少し話していたのですが、高級ワインをご馳走していただけました。感謝しつつ、自分は一杯だけ頂き、他は残った二人がうまいうまいって言いながら、飲み干しておりました・・・・・
 んでー 神殿に往復15ユーロでタクシー拾って連れて行ってもらいましたが、そんなに大きくは無い島だったのですが、ピスタチオの産地らしく、畑がとても綺麗でした。神殿跡を散策して、アクロポリスにいこう!となり、帰りはちゃんと5ユーロの船代金を支払って、町に戻りました。
 写真は、エギナ島の神殿跡です。
 アクロポリス編はまた、気が向いたときにっ

 普通に仕事がはじまって、一通り終わったかな〜ってなったら、まったりしすぎてつまらないですね!!
 で、船でナニしてた時に、日記をすこーし書いてたんで、それが見つかったので曖昧な記憶と共に久々に書こうかなと。
 以前にも書きましたが、船内生活で英語やスペイン語のレッスンが受けれます。無料と有料とあるのですが、もちろん無料のやつを受けました。基本的な事はわかっていた積もりですが、初心者用?を受けてました。忘れてる事なんかもあったりしたら嫌だなって思ったりもしてましたので、敢えて初級!!
 でやってる事は中級も変わらなかったみたいです。多くの人が広いスペースに集まり、そこでイギリスやアメリカから日本に来て、ボランティアと言う名のアルバイトをしてる人達を講師として、毎回違ったやり方で週に2〜3回行われてたと思います。
 印象に残ったのは、英語での値切り方というものがありまして、お店の人は観光客とみると、最初からぼったくった値段を言ってくるので、とにかく値切るという事でした。この時に、私が店主役をしたのですが、それなりに笑いが取れるような話が出来たようです。英語が分からない方には難しかったみたいなのですが、その都度翻訳もしていただいたので、分かりやすかったかな?と思います。
 スペイン語教師としてNatsumiさんと言う男性の方がいまして、ペルー出身の人でした、とても良い方でした。で、この方がラインダンス教室というのを主催してまして、面白そうでしたので、それにも顔を出してました。まだ踊れるかどうかは分かりませんが、音楽が好きでした、足からはじまるんですが〜、タイミングを見つけづらかった記憶があります。ディスコで遊んでた時代に、同じ振り付けで踊るって感じで、懐かしく思いました。
 
 船内に講師としているのは、日本に滞在してた海外の方以外にも、寄港地から乗り込んでくる方もいらっしゃいます。そういう方たちは、ピースボートスタッフ?ジャパングレイススタッフ?が、独自に選んで乗せる様なのですが、まーびっくりした人が居ましたね〜。ウマが合わないのは仕方ないとして、呼んだスタッフが出目金な女性だったのですが、言う事と、やる事が違うというか。。。。地球環境の話が出来るとの事前話を聞いて、サポートスタッフみたいな募集があって、行ったわけですが〜
 そこで言われたのが、暗い話、悲しい話は駄目です。 なんでですか?と尋ねると、そんな話は誰も聞きたくない が答えでした。 こりゃ駄目だーと思いまして、行くの辞めました。楽しい事も大事だと思いますが、地球環境を考えるのにあたって、地震・津波・カンバツなどの自然災害についてと言うことでしたが、それを真っ向から受け止めず、楽しい事を考えろと言われても無理です(笑  
 で、偶発的に先生と呼ばれる方と少しですが、お話をする機会がありました。石さんだったかなー 野鳥の会の会長かなんからしいです。私も昔野鳥観察したりしてたので、楽しみにしてたのですが、関心があるだけでは駄目。講演を聴かないと駄目との事、んーーー 関心があっても、関係のない話を聞きに行くのもどうかな?と思ったりもしながら、食いついたのですが、環境や生態については想像出来ないから駄目だとの事でした。私自身が事前に調べていた事や、知ってる事に対して興味を持って接しているのですが、分からないならどうしようもないですねっ!
 でまあ この石先生なんですが、偉い人で世界もあちこち巡ってるらしいですが、私が船に乗った動機が、漠然としていて目的もない旅なので、気に食わなかった様でした。その時に思ったのが、食事の仕方が汚い!自分でよそった食事を残す!これは自分が駄目でしたね。残った印象は自己管理の出来てないデブには、何も言われたくないし、いいたくもないが、最後に残ったものでした。こういう後味の悪いのは久々だったと思います。ほかにもあったんですが、それは書きませんっ!偉い人でも男だったという事です。
 
 この船内の事は4月24日までの日記を元に書きました。続きはまた書こうと思います。
 れがちーがまた傷入ってた;; 犬の引っかき傷っぽいです。磨けばとれるかなあ〜
 今日も写真はありません。

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a1abfa7c.JPG 最近忙しいです。父の確定申告やら、飲み会やら誘われ事もあったんですけど、良く寝てました。
 ピースボートに乗ってからの事書きます。
横浜から乗っての、酔いましたね。(100日以上乗ってたんですけど、途中でも酔いました。)初日船内案内に参加してたのですが、途中でギブアップしました。
 最初の寄港地がベトナムだったのですが、そこに行く間にもクルーを含めて1138名の人間が過ごす船内で色々なイベントがありました。船内新聞というものがありまして、そこに毎日どの場所で何があるかというのが、書いてありまして、7時に起きて、ジョギング、朝食を摂ってから、太極拳の教室に通っていました。その後甲板に出て日光浴、プールで泳いで昼寝してました。
 昼食を摂ってからは、船内で一日一本ビデオが流れてましたので、それをみつつ、予定表とにらめっこしながら、適当にイベント流し見してから小さな図書室に向かって、本読んでましたね〜。21時から、映写室みたいな場所がありまして、そこでやはり毎日映画をしてましたので、それを見てから就寝でした。
 イベントは沢山あったのですが、私が望むものが少なかったですね。一つの船室に4名いるんですが、一人はギター、一人は新聞、私ともう一人はてけとーに過ごしてまして、船室に戻って床に就くのは私が一番早かったかもです。起きるのも早かったですけどね〜。
 船内で名札を作ると企画があって、皆首から名札ぶら下げてるんですけども、私がこれにちょっと抵抗がありまして〜〜何故かと言うと、犬が当時3匹猫が一匹いたのですが、(プロフィールに載せてるゴールデンが戻る前々日に亡くなりました。) 庭で放し飼いをしており、猫は室内にいるのですが、首輪をしてません! 散歩や外に出る時だけつけてるのですが、犬でさえつけてないのに、なんで俺がっっ的な部分がありまして、暫くつけてませんでした。
 それでも、他の人からは名前を聞かれますし、名札を見てから名前を思い出すというのも、なんだか抵抗があったりもしました。気になるなら、名前くらい一発でおぼえとけーみたいな・・・ 1000人近くがいて、覚えるのも大変だしとか思うと、船室の同僚の勧めもあって、つける事にしたんですが、まー素っ気無いプレートでした。(笑
 ベトナムはダナンに入稿するのですが、事前に上陸説明会というのがありまして、奇数と偶数の部屋番号で二手に分かれての説明があります。
通貨、レート、お国柄、さまざまな情報を得る事が出来ます。
 私はオプションのツアーを取る予定もなく、ブラブラと散策を考えてましたが、同僚と他に単独で行動するという方が居ましたので、港から、タクシーを使って市街地に向かいました。
 市街地では、露店がそこそこにありましたが大きな市場が楽しかったですね〜。日本人が来るということは、事前に分かっていたらしいのですが、適当な値段を言ってきますね〜 言ってくる値段の1/4位が妥当な感じでした。特に買い物はしませんでしたが、タバコや香辛料、食材、服、靴色々なものが一つのマーケットの中にありました。吹き抜けになっておりかなり広かったですね。
 ダナンの町角には、ウェディングドレスが飾ってあるお店があったり、昔の映画で見る、映画館があったり、装飾的には戦後昭和のイメージでした。街角ではガソリンが瓶で売られていたり、端っこでは肉の串焼きを作っていたりでした。フォーを食べたのですが、トッピングにこの串が入ってました。私の食べたフォーはスープが無いタイプで、混ぜて食べるものでした。現地の人と話す時間もそこそこ取れて、やはり個人行動が楽しかったです。道中犬がいたり、猫が居たりもしたんですが、ベトナムでは犬・猫も食べますので、もしかすると犬の肉の串焼きだったかもしれません。
 後ほど聴いた話ですが、オプションでベトナムの子供たちと話すパッケージがあったのですが、そこに居た子達は、皆目をきらきらさせて話をしてくれたそうですが、私が見たダナンの町の子供たちの目は輝く事も無く、よどんでる訳でもなかったのですが、普通に貧しい子供たちでした。ツアーや、パッケージで会える子供たちはそれなりに裕福な家庭の子供です。情報が行き届かない町の子供たちとは暮らしも違うみたいですね。何が真実かは分かりませんが、ツアーで見た子供たちと、私が見た子供たちとはまったく違った感じがしました。                
 ベトナムではアオザイという民族衣装があるのですが、それを購入したいという方達が以外にも多く、行動中にアオザイ販売会場に行きましたが、ピースボート向けに結構なスペースが取られていました。そこで採寸し仕立てられたアオザイは次の寄港地での受け取りになったと記憶しています。
 ベトナムは二日間寄航したのですが、二日目は非常に暑く、私は船内で過ごしました(爆
 こちらではバイクをホンダと言ってましたが、中にはKawasakiあり、Yamahaありで、そういうバイクに乗ってる人たちは、カワサキなりヤマハなりにこだわりを持ってました。大排気量車は殆ど見ませんでした。大きくても250だったと思います。
 写真はベトナムで見た植物です。とても綺麗な花を咲かせてました。

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b1d88b7e.JPG 先日よりオークションで色々と出品してますが、結構大変です。出品するにあたり、ヤフーの登録からはじまり、発送業者への連絡とか、相手とのメールのやりとりだとか、マメにしてれば、やはり相手も安心ですよね。自分が落札するときもメールの有無や、対応によって、気分って違いますよ。
 撮影するまでも、バックを赤にしよーって思い、布の落札したり、照明があったので、それのライトが切れちゃって、頼んだら一個3000円とかするんですよ。出品するのは古いんですけど、やはり当時のものだったりするので、安くしか売れないんで、トータル赤字ですよ!! 
 でもまー 好きな人や欲しい人がまた持っててくれればいいかなぁなんて思ったりもします。質屋とかバザーでなんとなく買われるのも嫌ですしね〜 ほんっとに20年前の商品とかあったりして、それが以外に高値だったりもします。コレクションなんて、他の人からすればただのガラクタに過ぎないのでしょうけど、愛着があったりするんで、やっぱ大事にして欲しいなぁ 高く売れたらいいなぁとかも思います。性能が今より良いのも少ないので、趣味って、お金かかるものだと思いますけど、なんにせよ、真剣に打ち込めばなんでもお金はかかります。それが役に立っても立たなくてもです。
 色んな時間、お金の使い方がありますけど、使ったものは戻りませんし、時間は何もしなくても減っていきますから、大事に生きて行きましょう。
 写真はパナマの港だと思います。

 このパナマがですよ! 治安が非常に悪いので、船を下りて港から出来れば外に出ないで下さいとの事、私はどの場所でもそうでしたが、その土地を体で感じたいと思ってました。町並みや、人々の動き、風の匂いっていうのかな? 外から見るだけじゃなく、もっと見たいと思ってました。
 で、船から下りると沢山お店がありました。そこでお土産を買って終わり?の人もいましたし、オプションでツアーに出る人もいました。 出口を探しながらぶらぶらしてると、私を呼ぶ声がしました。いきなり、○○さん 港からでるんでしょ?と来た・・・ んなもん当然でしょーと言いつつ、連れて行って欲しいとの申し出でした。いくつかの約束事を交わしてから、出発する事にしました。
 港出口付近に、船の偉い人が佇んでいて、外出するんですか?と言われました。 行ってきますよ?と普通に返すと、出来れば遠慮してくれませんか?と・・・・ 危険があっても対処出来ますから、安心してくれませんか?等のやり取りを行ってから、承諾を得る事が出来ました。
 で、若い女性と二人でデート?感覚で街中をブラブラ、パナマってとこは運河で国自体は豊かなのですが、貧民層には行き渡るはずも無く、車は結構走ってるんですが、港の近くの町はかなりひどい状態でした。
 他の国と違い、観光客用のお店はまったく無いのですが、賑やかな感じがしました。道路もアスファルトが敷き詰めてある場所で、お店もそこそこにあり、ケン○ッキーフライ○チキンもありました。がーーー 先ほどもひどいと書きましたが、民家の状態は風穴が開いてたり、窓が無かったり、波板で出来た家屋なんかもありました。
 国が豊かだと、私が思ったのは、学校が綺麗、教会が綺麗、学生がちゃんとした制服を着ていたからでした。大通りから離れ、小さめの路地に入り、海に面する場所に出ました。途中にはキリストの十字架が飾られてたりもしました。ちょっと真似したんだけど笑われましたね〜〜。 とても大きな木が、街路樹として何本も植えられてたりもして、自然と調和を取ってるんだなとも思いました。
 海岸で犬と女性が遊んでいたので、私も犬に近づいたんですけど、吠えられましたよ(笑 で、帰り道なんですけど、
 続く

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2ac37a1e.JPG 去年の今くらいでしょうか、父から「てめー 世界みてこい」と言われました。税務関係の仕事と、他にもたーんとやることがあったんですけども、いかんわー そんな時間ねーって言ってたんですけどね、毎日毎日電話がかかって来るわけですよ。。。。金もねーって言ったんです、俺が出すって、言われて、減ってたのは私の通帳からでした(爆 んで、150万くらい払って、パスポートとか準備して、まー ばたばたと税務署とかも終わらせて乗り込みました。事前にパンフレットなんかで見てて、NGO NPO ボランティア ピースと言う言葉、義に生きて、愛に死にたい!って感じの私は、気持ち一新、手伝いも大変だろうし、やったるぜーって思いどんなボロかと思ってたのですが、見た目はそこそこ綺麗? サイズもでけえ。
 行くまでにそこそこ準備も整えて、荷物は大き目のダンボール一つと、トランクに手荷物って感じでした。夜に地元をでて、早朝に横浜について、人は少なかったですね。 腹も減ってたし、ろくな飯も出ないだろうなんて思って、うどん食べました。これが日本で食べる最後の食事かーとか思いつつ、船に入り込み、船室に案内されました。部屋にはベッドが4つ クロークが4つ、シャワールームとトイレ。化粧台がそれに一つでした。
 自分の場所はどこじゃろか?と聞いたんですが、Up to uとの事、左下のベッドに入ることにしました。ぼちぼち荷物を片付けて、落ち着いたところに、同居人が続々と現れました、年代が同じくらいで部屋割りしてるとの事でした。一人は同郷で、後の二人は関東圏の人達でした。食事時間のアナウンスがあり、行って見るとそこそこ豪華な食事でした。4F部分にレストランがあるんですが、給仕がいて、彼らが席へと案内してくれるのですが、すし詰めほどでは無いんですが、知らない人とも話が出来るしゆっくりは出来ないけどもいいかなぁと思いながら、サーブを待ちつつ、どこから来たの? おいくつですか?等さまざまな話をしながら、食事を手早く終えてました。
 この船、食事する場所が2箇所ありまして、ヨットクラブと言われるラフなスタイルの食事スペースと、フォーマルとまでは行きませんが、落ち着いた感じのレストランでした。船内のスタッフは皆外国の方達でしたが、さまざまな国から来てました。ただ給料に関しては、日本人からみれば、本当にそんな値段で雇われてるの?というくらい安かったみたいです。それでも彼らからすれば、普通に働くよりも数倍の賃金だったようです。
 安定剤飲んでるので寝ます。
続きはまた書きマース。
 写真は、フィヨルドです。

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